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2006年6月 5日

1879年(明治12年)

        ?1本1本に感謝を込めて出荷させていただく? 
                               「美少年酒造(株)」 
                               熊本県下益城郡城南町
 創業は、明治12年。造り酒屋だった下田幸次郎の三男求太郎が分家して、緒方酒造場を設立したのがはじまり、本家である下田家(本薩摩屋)は、1752年(宝暦2年)肥後藩主であった細川重賢の命をうけ、隈庄の地で酒造りを始めた。
 美少年の酒名の由来は二代目緒方求太郎氏が、杜甫の詩の『飲中八仙歌(いんちゅうはっせんか)』に詠われた愛酒家催宗之(さいのそうし)を讃える一節に『美少年』の銘をおもいついた。
宗之(そうし)は瀟洒(しょうしゃ)たる美少年
盃をあけて白眼晴天を望めば
皎(きょう)として玉樹の風の前に臨むがごとし

意味: 催宗之はさっぱりとした美少年
盃をあげて白眼で晴天を望めば
色白で玉樹が風に吹かれているようである
 原料米は、軟らかく磨きにくいが、酵母に溶けやすく味にはふくよかな幅が特徴な、神力米をJA熊本協力のもと、半世紀ぶりに復活させ、美少年の貴重な素材として使用している。

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1873年(明治6年)

        ?日本酒界、西の横綱を目指し、歩み続ける酒蔵? 
                               「萱島酒造有限会社」 
                               大分県国東市
 酒名「西の関」は、二代目萱島米三郎氏が西日本の誇りであり、代表する酒を造り出そうという信念の基に西の横綱を意味する「西の関」と命名された。
 仕込み水には、標高721mの両子山、616mの文殊山の中央山岳地帯で伏流水となった水を3本の井戸から汲み上げて使用しており、水質は、軽やかで優しく甘みのあるやや軟水。原料米は、地元大分のヒノヒカリ、佐賀レイホウ、広島八反錦、兵庫山田錦など、約一万石の製造を行い、出荷先は、約70%が大分県内で、約15%が福岡を中心とした九州各県、残りが大阪、東京など本州方面となっている。
また、酒の五味(甘・酸・辛・苦・渋)が調和した「旨い酒」を理想とし、永い悠久の時間の中で地元に密着した伝統手造り手法を発展的に継承し、甘い辛いを超越した日本酒本来の旨さを絶えず追求しつづける酒蔵である。

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1860年(万延元年)

?製造、品質管理の基本を守り、製品の開発にも日夜研鑽し続ける蔵?
                                   「久家本店」
                                   大分県臼杵市
 久家本店の創業は万延元年、藩主稲葉氏の酒蔵を譲り受けたことにはじまる。
 また、臼杵地方では川を堰き止めた場所を「井出」と呼び、末広川の一番目の「井出」のほとりにあった酒蔵を譲り受けたことに由来し、「一の井出」の酒名がつけられた。 
 仕込み水には末広川の伏流水を使ったソフトな甘口の芳醇な手造り酒である。

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2006年6月 7日

1798年(寛政10年)

        ?世界が‘あっ!’という焼酎を造る酒蔵? 
                                   「老松酒造」 
                                   大分県日田市
 創業当時、日田地方にある数百年は経ったと思われる松の老い木がある老松神社の泉より湧き出る清浄な水が酒造りに適していたので、酒造りを始め、これが老松酒造の名の由来となったといわれている。
 九重山を源とする水を使い、吟醸仕込みをした特級はりんご香にすぐれ、ソフトな味わい。
 焼酎においても、貯蔵樽の研究に余念がなく、産地、材質、焼き方、大きさ等にこだわり、 麹へのこだわりも並々ならぬものがある。

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1804年(文化元年)

         ?小京都「日田」が生んだ酒蔵? 
                               「株式会社井上酒造」 
                               大分県日田市
 同蔵は文化元年の創業当初から四角い井戸の水で酒を造っており、浜口雄幸内閣の大蔵大臣を務めた、井上準之助(三代目の末弟)により「角の井」の銘柄を命名。
 九州中央部に位置する日田盆地の寒冷地という気候と自然豊かな彦山の伏流水を利用して、平行複発酵によるまろやかさを醸し出す旨口の酒「角の井」をはじめ純米酒から純米大吟醸まで取り揃えておりり、男っぽい辛口の酒を得意としており、地元をはじめ幅広く支持をうけている。
 また、 焼酎は、各地方の選りすぐった原料により、各地様々の個性豊かな風味をもつ本格焼酎があり、最近では2002年のサッカーWカップで一躍全国区となった中津江村を称えた、「思い出のカメルーン 中津江村」という変り種、本格焼酎なども販売している。



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1896年(明治29年)

        ?純米酒分野のパイオニア的酒蔵? 
                             「 千代の園酒造株式会社」 
                             熊本県山鹿市
 酒名は初代本田喜久八氏が、地域とともに繁栄と平和を願い、慶事に相応しい名をと考え、命名された。灯篭祭りで有名な山鹿の菊池川を伏流水とし、良質な水と風土に恵まれている。
 同蔵は、昭和43年、戦後において全国初の純米酒<朱盃>を出荷、その5年後には純米酒銘醸家による純米日本酒協会の設立に参加、三代目(現会長)本田勝太郎氏が代表幹事に就任。
 豊かな秋の実りを象徴する米にこだわり続け、「酒味浪漫」を求めて21世紀へ翔く。

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1895年(明治28年)

        ?日本文化、地方文化の華、日本酒を伝える酒蔵? 
                                    「菊の城本舗」 
                                    熊本県菊池市
 創業当初は「保栄」という酒名であったが、大正4年に同地ゆかりの豪族菊池氏の本城、菊池城にちなみ改名した。
 伏流水は菊池渓谷を源とする中硬水の迫間川を使われているが、地元ファンの間では、この水により秋まで半年寝かせた酒のような味がするとウワサされているという。
 ベテラン杜氏が仕込む酒はまろやかにして、コクがあり、飲みあきしない味になっている。
 また、1994年講談社週刊モーニングに連載されたコミック「夏子の酒」がフジテレビでドラマ化されたとき、このテレビドラマに「菊の城大吟醸」が使用された。

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1894年(明治27年)

        ?頑なままでに手づくりにこだわり続ける酒蔵? 
                                   「小掠酒造」 
                                   大分県小野市
 酒名の「弥生」は初代弥吉の一字をとり命名。
 「酒の命は、凛冽な空気、清冽な水、選び抜いた原米料、そして蔵人の技と心」という信念の基に、明治二十七年創業以来、大分・宇目の自然の懐に抱かれ育った酒蔵には、それらのすべてが生きている。「暖気樽(だんきだる)」や「槽(ふね)」など昔から伝わる器具を用いて、地道な手作業を繰り返しながらも、決して手を抜くことなく、じっくりと心を込めて伊予杜氏が仕込んだ酒は中口でコクがあり切れがよい。
 また、明治四十年頃より使用され、戦後の品種改良などで姿を消してしまった、色白が大きい幻の良質酒米、「神力」を熊本県の酒造場とJA熊本経済連の協力によって半世紀ぶりに復活させることに成功した。

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1874年(明治7年)

        ?水を酒の命としてよりこだわりつづける酒蔵? 
                                    「中野酒造」 
                                    大分県杵築市
 中野酒造の看板清酒「智恵美人」は初代の妻お知恵さんにちなみ、智恵があって美人になれるようにとつけられた。
 また、国東半島で智恵の菩薩として知られる、文殊仙寺の奥の院に湧く御霊水(飲むと智恵が付くという言い伝えがある)からつけられたとも言われている。
 東京農大短期大学部醸造学科で開発された、撫子(なでしこ)の花から採取した新酵母を使用した吟醸香豊かな純米酒など女性を意識した酒が多い、因みに撫子の花言葉は『いつも愛して』
 

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1872年(明治5年)

         ?付加価値の高い酒の開発に取り組む酒蔵?
                                    「北雪酒造」 
                                    新潟県佐渡市
 世界初の純チタン製容器に瓶づめ(?)された特別大吟醸、同じく世界初、超音波の振動を与えた超熟酒、薔薇酵母を使用した大吟醸原酒など個性豊かな酒の開発に取り組む酒蔵である。
 ほかにも、オリジナルラベル酒、日本酒ゼリー、米焼酎、地ビールの製造も手がけ、平成18年には 佐渡産青梅(藤五郎)を使った梅酒「藤五郎」を製造、発売、 今後の酒開発にも目の離せない酒蔵に一つである。

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1866年(慶応2年)

         ?「酒呑み小僧のおかげで誕生した銘(迷?)酒」? 
                                  「二階堂酒造」 
                                  大分県
 二階堂酒造の歴史は地元、松屋寺の小僧が寺の酒を盗み畑に埋め、後日飲もうと掘り起こすと、風味豊かな美酒になっていた、という言い伝えから始まる。
 大分県を日本一の麦焼酎の産地として支え、今や麦焼酎の有名ブランド二階堂であるが、戦前までは代々日本酒を造り続け、戦争により一時休業。昭和24年に復興、昭和26年に今まで、麹は米であるという常識を覆し、麦麹の開発を開始、昭和48年に日本初100%麦の本格焼酎の販売に成功し現在の地位を築き上げた。
 

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1903年(明治36年)

   ?日本文化の一翼を担う古来の伝統酒の生産を目指す酒蔵? 
                                   「千徳酒造」 
                                   宮崎県延岡市
 銘柄の「千徳」は「これを飲めば千の徳があり」の意味がある。
 杜氏の門田 賢士氏は選抜高校野球出場経験ありの元高校球児。
 神話の里、高千穂を源とする五ヶ瀬川系の水を仕込み水とし、普通酒は濃醇なうま口、純米酒は飲みあきしない辛口と、地元の人々の口にあった酒を造り続けている。

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1973年(昭和48年)

       ?今までの酒とは一味違う日本酒を目指す若き酒蔵? 
                               「一ノ蔵酒造」 
                               宮城県志田郡松山町
 一ノ蔵は宮城県内の浅見商店、勝来酒造、桜井酒造店、松本酒造店の酒造家4者によって合同設立された。
 銘柄決定の際、全国から7000の応募があったが、結局決まらず社内で決定したという。
 「一」は一番スタートを意味し、4社の蔵が一つになったことを表現しており、「一」と「蔵」の組み合わせにより誕生した。
 日本酒のシャンパンと呼ばれる「すず音」など日本酒造りを応用した新しいタイプの酒造りを目指している。

 

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2006年6月 8日

1902年(明治35年)

        ?家族団欒の為の酒造りを目指す酒蔵? 
                               「花の香酒造株式会社」 
                                熊本県玉名郡和水町
 酒造りもたけなわとなる頃、酒蔵近くの梅の木からよい香りが漂ってき蔵人たちの心を和ませたので「花の香」の酒名がついた。
 水は菊池川の伏流水として使い、酒米は地元のレイホウを使用。酒はやや辛口で呑みあきしないすっきりとしたタイプである。

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1832年(天保3年)

         ?日本で一番海辺に近い酒蔵? 
                                   「白嶺酒造」
                                   京都府宮津市
 酒名は日本海にそびえたつ由良ヶ岳の雪をいただいた姿よりつけられた。
 眼前には日本海、背後に丹後富士(由良ヶ岳)を擁する海と山に囲まれた酒蔵である。
 さらに左右には天橋立と舞鶴湾が位置する。
 また、森鴎外の小説で有名な山椒太夫(サンショウダユウ)の、安寿姫と厨子王の伝説の地としても有名である。
 

酒名は日本海にそびえたつ由良ヶ岳の雪をいただいた姿よりつけられた。
 眼前には日本海、背後に丹後富士(由良ヶ岳)を擁する海と山に囲まれた酒蔵である。
 さらに左右には天橋立と舞鶴湾が位置する。
 また、森鴎外の小説で有名な山椒太夫(サンショウダユウ)の、安寿姫と厨子王の伝説の地としても有名である。
 

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2006年6月 9日

1830年(天保元年)

        ?朝日将軍が見守る酒蔵? 
                                 「朝日酒造」
                                 新潟県越路町朝日
 「朝日将軍」と呼ばれた、木曽義仲の家来が移り住み、この地を朝日と命名。
義仲愛用の太刀を奉り、朝日神社と称し、神社のある小高い山を朝日山と呼び、
蔵元の正面に位置することから酒名がつけられた。
創業以来、酒は朝日神社の境内に湧く宝水がつかわれている。

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2006年6月17日

1917年(大正6年)

         ?有明海と雲仙普賢岳に囲まれた?
                                   合資会社吉田屋
                                   長崎県有家町
 酒名の、「萬勝」は、すべてに勝るさまをあらわしたもの。
 雲仙普賢岳の伏流水が湧き出る自家井戸の水を仕込み水に使っている。また、蔵に杜氏はおらず、吉田屋4代目(予定)の吉田嘉明氏が、製造責任者として酒を造っている。
 造り酒屋を始める前に煙草製造業をしていた時に「八千代」という銘柄を使用し、一説には、『八千代』は大正天皇御即位の時に八千代の銘柄をお買い上げに来られたとの話もあるらしい。
戦後、町内の数軒で共同で『平和・PEACE』と言う喫茶店を開業し、その後、単独で「八千代喫茶店」を開業。「吉田屋」の奥座敷を開放して数十年ぶりに「八千代喫茶店」を営業、地元の人々の憩いの場所として利用されている。

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1984年(昭和59年)

?WTO(世界貿易機関)協定により、原産地が保護されている酒蔵?
                                  壱岐焼酎協業組合
                                  長崎県壱岐郡
 昭和59年、麦焼酎発祥地を代表する焼酎を造ろうと、篠崎酒造、長谷川酒造、吉田酒造、石橋酒造、殿川酒造、原田酒造の六場の酒蔵が合併。
 また、壱岐は世界貿易機関(WTO)の協定において、原産地としての保護産地指定を受けており、平成7年、地理的表示の産地に指定され、世界ブランドとなった。
ワインといえばボルドー・シャンパーニュ、ウイスキーといえばスコッチ・バーボン、 ブランデーといえばコニャックというように世界の銘酒には原産地の名前がついており、日本では「壱岐」「球磨」「泡盛」の三産地だけ指定をされている。
 麦焼酎の代表銘柄としては、云わずと知られる「壱岐っ子」だが、合併した六場の酒蔵の銘柄の清酒もあり、その中の一つ、「芦鶴」は酒蔵落成の日に、鶴が屋根の上をさかんに飛んでいたことから名づけられた。

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