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2006年4月 5日

1868年(明治元年)

       ?軽くて、きれいで、飲みやすい三拍子を目指す酒蔵? 
                             「西の誉銘醸株式会社」 
                              大分県中津市
 明治元年(慶応四年)創業者、樋田礼三郎の手に依って酒造りが始められた。当時は副業として、自家の地米で造る家内工業的なものであったが、次第に周辺地域を補うのに値する酒造場として発展していった。又、酒造りに伴う清酒粕を使った粕取焼酎も生産し始めた。
その後幾多の変遷を隔て、下毛一円に存在した永吉酒造、相良酒造、三保鶴酒造、一天酒造、武吉酒造と 創業蔵耶馬正宗酒造の六社が企業合同し、昭和33年、西日本銘醸株式会社として共同瓶詰会社を設立。その後、現在の「西の誉銘醸株式会社」と名前を変えた。
 伏流水には八面山系からの水と、県産米のレイホウを原料とし、地元杜氏が仕込む。吟醸酒はりんごの香りがあるさわやかな飲み口。
 また、長期熟成焼酎、「学問のすすめ」は本の形の陶器瓶を使い、インテリアとしても人気のある一品である。

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1864年(元治元年)

        ?蔵元と蔵人の協調精神を今も忘れない酒蔵?
                               「八鹿酒造」 
                                大分県玖珠郡九重町
 明治18年、三代目麻生観八氏と杜氏仲摩鹿太郎氏の二人が精神を注ぎ込み造った酒「龍門」が評判であったことを機に、それまでの屋号「舟来屋」を二人の名前を一字づつとり「八鹿」と命名した。この時から蔵元、蔵人が心を合わせ酒造りを行なう、という精神が守られつづけている。
 蔵の入口には、頭上に「笑門(しょうもん)」の額が掲げられており、蔵の清酒の銘柄名にも使われている。それまでいくら腹が立っていようが、酒造りに入るためにその門をくぐってからは、笑って造りに向かうようにとの先人の思いが込められたものである。
 伏流水は九州最高峰の九重連山より湧き出る伏流水を地下250mから汲み上げたものを使い、普通酒は酸味が少なくすっきりとした飲み口、本醸酒はやや辛口で切れがよく、吟醸酒はフルーツ香にすぐれる。


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2006年4月11日

1867年(慶応3年)

         ?鷹の降り立つ芽出度き酒蔵? 
                                 「瑞鷹株式会社」 
                                 熊本県熊本市
  明治二十二年元旦の朝、 初代吉村太八氏が、酒蔵の戸を開けた時、雀を追って舞い込んだ鷹が蔵の中を飛び回るのを見、「芽出度き瑞兆である」と瑞鷹と酒名を命名。
 また当時、熊本の酒はほとんど赤酒であったが、吉村太八氏は、いち早く清酒の製造に着手した。
 赤酒は古くから熊本地方に伝わる酒で、清酒と同じような工程で仕込み、「もろみ」に木灰を投入することで、酸敗を防ぎ保存性をよくするという製法であり、加藤清正が熊本城を築城した頃にはすでに、赤酒が庶民の酒として親しまれており、加藤家から大阪の豊臣家に熊本の名産として献上されたという記録もある。

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